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 ◆ご来場下さいました皆様へ、このブログについて

丁苑(ていえん)は、『ファイアーエムブレム・紋章の謎』を中心とした、二次創作小説を取り扱うサイトです。作品は全て私個人の趣味によるものですので、ゲームの原作者様並びに関係者様とは一切関係ありません。

現在公開している作品は

『FE紋章の謎』を中心に、『暗黒竜と光の剣』『外伝』の要素も織り交ぜながらゲーム内容に沿ったシリアス路線の二次創作『奇跡のしるし』を<EMBLEM SIDE>にて連載中です。

更新報告等と入り混じらないよう、別の場所にて展示しております。ご興味を持っていただけた方は、下記のリンクよりお入り下さい。

 ◆小説置き場

 <EMBLEM SIDE>



最近の記事

今がたぶん…… 

 実は、家族の一人がちょっと大きな怪我をしました。
 その影響もあって今はまた生活スタイルが色々と変わって、ちょっといろいろ混迷中。

 たぶん今月は慣れるための時間が必要になりそうですが、合間にできることを少しずつやろうと思ってます。

 きっと今が、一番乗り越えなきゃならないとき。

 なにもできなくて、ごめんなさい。

言葉の外側に 

 正確に言葉の意味を伝える。
 それはとても難しいことだと思います。
 実際に会って話すことができたとしても、その伝えたいことの半分も伝われば、御の字なのかもしれません。でも、時として言葉にしていない言葉を拾うことができるのも、人のすごさ。

 文章を書くということを改めて考えてみたとき、正確に伝えることの難しさの前に、キーボードを打つ指の指が動かなくなります。
 いえ、私の場合は、書いては消し書いては消しを繰り返してしまうので、実際には指は忙しなく動いているのですが。
 でも、頭の中での文章は、一向に先に進んでくれない。
 正確に伝えるとは、どういうことなのか。
 その定義からして既に、私の中に明確な答えがありません。
 無論、百人いたら百人全員に常に正確に読み取ってもらえるほどの文章力が自分にあるなどと、微塵も思ってはいません。それでも、少しでも多くの人に伝わるようにするにはどうしたらいいのか。その答えが見えなくて、そしてこれから先にも出てこない気がして、気持ちは重たく、ゆっくりと深い場所へ沈んでいきます。
 でも。
 言葉は、常に正確に伝わらなくてはならないものでもないはず。小説においても、あえて読者として迷うから面白くなる瞬間があるし、いわゆる『行間』を読もうとする時間は、楽しみの一つなはず。
 そこに意味を見出すための、呼び水であること。
 表現するということは、そういうことなのでしょうか。
 行間を読むというのは、いわば抽象画なのかもしれません。
 それが猫だと言われても解り難いような、一見すると無秩序な線や色彩の中から、ある一定の法則や意味を汲み取っていくと、確かにそこに猫が存在する。そんな感覚に近いのかもしれません。
 でもその抽象画から猫を読み取れないことがあったとして、その場合に悪いのは意味を汲み取れなかった閲覧者か。それともそれを読み取れるように表現できなかった作者なのか。
 そのあたりには、答えは出ないような気がします。もちろん答えが出る場合もあるかもしれませんが、多くの場合は答えは出ないように思います。
 そしてそうなると、やはり正解を求めるのではなくて、自分にはどれが合っているかを探すことが大切なのかな……とも思えてきます。

 この言葉の言外の意味を察してもらえたら。

 それは日常でも、作品作りという過程でも、多くの人が思うことなのではないでしょうか。
 そうしてもらえるような文章がいつでも書けたら、きっとその人は、後世にまで残るような文豪になれる気がします。でも、文豪だって言葉にして喋るときに間違うことがあるわけだから、多かれ少なかれ、察してもらえたら……という期待は、察してもらえないことを前提で持つしかないのかもしれません。
 そこに意味を篭めて伝えることの、難しさ。
 そんなことは、一般庶民である私が悩むような必要はないのかもしれません。でも、それに気付いてしまった以上は、少しでも改善する努力はする必要があるようにも思います。
 小説は、そのストーリーを読んでもらうからには、文章の技量云々よりも全体の構成に注目が集まります。現に、私が知っているネット上のある小説サイト様の作品では、誤字も多いし言い方がまわりくどかったりもします。ですが、それでも読み続けたくなるような中身があります。サイトの訪問者の数も、この丁苑などとは桁がいくつも違うくらいに多く、とても素人とは思えないその実力のほどに、ただただ感服するばかりです。
 惹きつけるものがあるというのは、まさにこのことかと思います。
 それ以外に、私が読んで面白かったと感じた小説などを思い起こしてみても……やはりそこには、ただ文章の上手い下手ではない、何かがあるように思うのです。

 正確に伝えることは難しい。
 察してもらうことはなお難しい。

 でも、その難しい何かを乗り越えて(あるいは乗り越えようとしながら)形になった作品には、魅力があるように思います。

 ただ、そのためには覚悟も必要で。
 力んでばかりでは良いものも書けませんが、書くことへの決意もまた、大切なのかもしれません。
 上手いから良くて、下手だからダメとか。そういうことではなくて。
 形にして伝えてみたい、それを表現してみたいという、意思。
 同時に、それを伝える場や手段の選択も。
 軽々しく放った言葉は、時に凶器にもなることは、私も幾度も経験しています。
 残念ながら、届けようと思った言葉が、それを全て回避できるほどの文章力を持ち合わせていませんが。
 だから人を傷つけることがあり、そして同時に、自分が傷つけられることも。
 反省の繰り返しと、悲しみの繰り返し。

 広い場所で活動することにこれだけの苦労と喜びがない交ぜになっていることを、こうして活動してみるまでしっかりと理解していませんでした。
 だから、貴重な経験です。

 いつか、伝えたい何かが伝えられるような文章を、一行でも多く書ける日が来るのか。
 それはまだ解りません。
 でも、この葛藤がある限り、いつか何かに出会えるような気はします。


 周囲は暗闇。


 でも、光は遥か遠くに見える。

 距離も判らないけれど。

 でも、小さくても、見える。


 この感情には、その昔、鬱病で悩んだ頃のことを少しだけ思い出します。
 文字通り、身を切り裂きそうな幻覚に悩んだことに比べれば。
 あれから生きて帰ることができたのに比べれば、この葛藤は幸せなこと。

 表現することには、時に苦しみもついてくるということを、今やっと、ごく僅かながら感じた気がします。

次回更新について 

 8月9日に、一挙に更新をすることとしました。
 それまでは小説の作業はしますが、更新は致しません。
 いつも遅筆で申し訳ございませんが、ご容赦いただければと思います。

中身を整理 

 先日の記事に書いた小説が面白かったので、その作家さんの作品をいくつか読破。
 いやぁ……さすがプロ。その確かな文章力に色々と影響されまくっております。

 そんな状態で自分の書いたものを見直すと、もう圧倒的なレベルの差を感じて泣けてきます……。
 特に浮き上がってきたのは、全体の構成の、その詰めの甘さ。
 「自分が書きたいから、書く」というスタンスでやっていたせいで、全体が間延びしているなぁと。全部を書いてしまったら、それは単に解説をしているようなものですよね。読み手の皆様に想像してもらえる文章でなくては、物語の面白さが減ってしまうことに、今さら気付いた愚かなTEAです。
 書きたくても書かないことも、大切なんですね……。



読書タイム 

 知り合いに進めてもらった小説を読んで、面白かったので同じ作家さんの別の作品を読んで……。
 そんな読書漬けの日を、ここ何日か過ごしました。
 480ページくらいの作品だったので、読み終わるまでに時間がかかってしまって、お蔭で睡眠不足になったりしてますが、最後は気持ちよく終われる作品だったので気分的には上昇傾向です。

 実は小説を読むのはちょっと久しぶりだったのですが、それにしても、プロの作家さんというのはやはりスゴイですね。
 物語の展開で盛り上げるのはどんな方もやると思いますが、さらにキャラクタがしっかり作りこまれていて、その登場人物の組み合わせだけでも場面に様々な効果を生み出してしまう。そして大量の文章でも、気付いたらどんどん読み進めたくなる気持ちにさせる。
 もちろん、作品ごとに相性もあるのでしょうけれど、今回読んだものは個人的にはかなり好きでした。

 しかし、プロにも当然、ピンからキリまであるものです。
 昔読んだ小説の中には、どうしてこれが本になっているのか正直よく分らない……読んでいて、途中で嫌になるものもありました。最後まで読んでやっぱりガッカリ、みたいな。
 こういう、とても面白い作品とそうでないものの違いって、何だろうかと考えました。

 結論的には、よく分らない…というのが正直なところです。
 ただ、やはり視点の安定感と、それからキャラクタの発想がどこまで納得できるかが、大切なように思いました。
 「小説を書く」という行為をする際、自分を含め未熟な著者はどうしても、自分が書きたい場面の描写に固執しすぎて、視点がさまよってしまうことがあります。
 視点がふらふらするのは読者に嫌われるというのは有名なことで、それは頭では知っていても、ついつい気付かないで失敗してしまいやすいものかと思います。
 同様に、物語を展開させることに没頭する余り、キャラクタの個性などを無視して「言わせるための台詞」を埋め込んでしまったり。
 このあたりも、「このキャラがこの発言をするなら納得だ」と感じさせるだけのキャラクタ作りを作品の中にしていないと、やっぱり読者の方に共感や納得してもらうことは難しくなります。
 プロの作家さんは、こういったあたりの構成がとてもしっかりしているのかなと思います。

 「文才」という言葉があります。
 物書きになるなら必須と思っている方も多いかと思われますが、でも、文才って……具体的には何なのでしょうか?
 ストーリーを盛り上げる発想力。これは、私としてはどちらかと言えば企画とか運営とか、そういう面の力量だと思います。場面を盛り上げる展開を構築する力は、文章を書く才能がすることとはたぶん違うように思うのです。
 では、魅力的なキャラクタを考え出す力でしょうか。
 これも、文章を書く才能とは関係ないと思います。だってこの力は、小説だけでなく漫画でも共通して使えるもののはず。文章を書く才能とは関係ないでしょう。
 なら、難しい表現ができること?
 ……これは文章力というか、語彙の問題に近いのではないでしょうか。ある意味では文章を書く才能かもしれませんが、難しい表現をしてみたところで「表現が難しかったから、小説が面白かった」なんてことはないと思うのです。
 では、文才って……?

 個人的には、「語感」というか……単語1つ1つの持つ意味や表現力を、魅力的に使うことのできる力なのかな……と思うのです。
 いわゆる詩的な表現とか、コピーライターさんが作るキャッチコピーが、端的に表現された文才なのではないかと思うのです。
 文章そのものから、感情とか意思が伝わってきそうな……そういうものを書く力。
 これが文才なのかな……と。

 そう考えたとき。
 果たして小説に文才は必要なのでしょうか。
 いや、もちろんあればあったに越したことは無いと思います。実際にプロの作家さんの文章には、心に残る一文があったりするものですし。
 でも、小説の場合に読者の方が読み取るのは、基本的にストーリーの流れです。
 詩的な表現ばかりの小説なんて、たぶん読み難い。
 そうなると……小説に限っては、文才の有無よりも、展開に矛盾が無く、しっかりと構成されていれさえすれば、OKなような気がするのです。
 実際に、その日1日にあった出来事を忠実に追って、そこに少しだけフィクションを入れてみれば、簡単なSSの出来上がりです。
 そしてそれは、主人公以外の視点を考えてみることで、より明確に物語性をUPさせることができる。
 つまり……小説に必要な最も基本的な力は、文才じゃなくて、企画構成の力なんだろうと。
 展開の仕方に矛盾が無く、でもちょっとした「嘘」が面白さを引き立てるのだろうと。

 長く書いてしまいましたが、結局何が言いたいかというと。
 文才が無くても、小説なら書ける。なにせ私が書いてるくらいですし(笑)。
 だから全体を構成する力を、もっと付けたいなと思っている今日この頃。

 皆様も、この機にちょっと試してみてはいかがでしょうか?